1965年(昭和40年)
ビック・トピックス
- 不況からいざなぎ景気へ(1965年11月~1970年7月 )
- 繊維消費量(糸ベース)で初めて化学繊維が50%を凌駕
- ナイロン、ポリエステルが生産過剰で自主減産へ
- 9月からミニスカート大流行
- 大手アパレル企業がファンデーション事業に参入
生活・文化
- 大相撲が1月場所から「一門・系統別制」を「部屋別総当たり制」に変更
- 中教審が「期待される人間像」中間草案発表(「日本を愛する人となれ」など)
- 東京で日本初のスモッグ警報発令
- 深夜、伊豆大島の寿司屋で客のたばこ火の不始末から出火。30mを超す季節風にあおられて340戸を全焼する大火に
- 日本航空が「ジャルパック」発売開始(ハワイコース9日間378,000円)
- 長嶋茂雄(巨人軍選手)が東京オリンピックのコンバニオンと結婚
- 朝日新聞500万部突破(539万 297部)
- 米国で黒人運動指導者マルコムXが暗殺される
- 北海道・夕張の採炭所でガス爆発発生。61人死亡
- アンプル入り風邪薬による中毒死が多発
- 富士山頂に気象レーダー完成、運用開始(気象レーダーとしては世界最高地点)
- 作家・戸川幸夫が沖縄・西表島で頭骨と毛皮を発見したヤマネコが新種と鑑定され、「イリオモテヤマネコ」と命名される
- 愛知県犬山市に明治村が開村
- ソ連の宇宙飛行士が初の宇宙遊泳に成功
- 日本国内航空(現=日本エアシステム)が初の国産旅客機YS11を就航
- 経済企画庁に国民生活局を新設。兵庫県が神戸生活科学センターを開設
- ワシントンでベトナム停戦を要求する1万人のデモ
- 「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(ベ平連)が初のベトナム反戦デモ
- 私鉄180労組がストライキ
- 松下電産が週休2日制を実施
- 警視庁に機動捜査隊発足
- ボクシングのファイティング原田がバンタム級世界選手権を獲得
- 新潟水俣病が「阿賀野川流域に発生した水銀中毒」疾患として公式に確認される
- 四日市で公害病認定制度が発足(しかし、「四日市ぜんそく」の原因であるコンビナートは拡大を続けた)
- 大相撲力士のピストル所持事件発生
- 東海道新幹線で列車公衆電話サービスを開始
- 福岡・山野炭鉱でガス爆発、死者237人、重軽傷者279人
- 警視庁が映画「黒い雪」の試写会用旧版を猥褻容疑で摘発(のちに武智鉄二監督らを起訴)
- 家永三郎が教科書検定を違憲とし、国家賠償請求の民事訴訟を起こす
- 東京・夢の島にハエが大量発生し、江東地区一帯に飛来、問題化
- 名神高速道路全線(小牧−西宮)開業
- 吉展ちゃん事件(1963年発生)の犯人逮捕。自供で遺体発見
- 鹿島郁夫が小型ヨットで大西洋横断に成功
- 静岡県登呂遺跡で弥生時代の水田跡を発見
- 長野県松代町付近で地震発生(松代群発地震の始まり)
- 米ロサンゼルス黒人居住区ワッツで暴動が発生、他の地区にも拡大して6日間続く。死者34人
- 東京・上野の東京国立博物館でツタンカーメン展開幕(期間中に100万人以上の入場者)
- 万国博の大阪開催が決定
- ワシントンで「法による世界平和」についての国際会議開催
- 国鉄が「みどりの窓口」を設置
- 乗用車が輸入自由化、マイカーブーム加速
- 台風29号のためマリアナ海域で操業中のカツオ船7雙が集団遭難。死者・行方不明209人
- 朝永振一郎がノーベル物理学賞受賞
- ビートルズがバッキンガム宮殿でエリザベス女王からMBE勲章を授与される
- 東海道新幹線の東京-大阪間の所要時間が短縮(「ひかり」が3時間10分に)
- 第1回プロ野球ドラフト会議開催
- 皇太子妃が次男を出産(礼宮文仁と命名。のちの秋篠宮文仁)
- 「11PM」放送開始(ナイトショーの始まり,タイツ姿のカバーガールが新鮮
- 米宇宙船もランデブーに成功
- 競馬でシンザンが五冠馬になる(皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞、有馬記念)
- 大逆事件(1911年発生)で東京高裁が再審請求を却下。 最高裁も特別広告を却下
- 日米の貿易収支が逆転し、米国が赤字に
- 日本の総人口 9,828万人で世界第7位(国勢調査)
- 大学生数100万人を突破(進学率25%、私大72%)
- モンブラン万年筆人気
- 「若者文化」が話題になる(10代の三種の神器は,エレキギター,レコード,テープレコーダー。このほかステレオ,トランジスタラジオや,アサヒペンタックス,セイコースポーツダイバー,トヨタスポーツ 800など)
- エレキギター・ブーム(ベンチャーズ来日でブレーク。日劇ウエスタン・カーニバル超満員。テレビのエレキ番組やエレキパーティ盛ん。エレキギターが大量に売れた)
- ゴーゴーダンス、モンキーダンス流行
- レーシングカー大流行
- 釣り堀人気
- やくざ映画・ピンク映画氾濫,深夜映画興業定着
- 新発売=カセットテープレコーダー、家庭用電子レンジ、アートドアの冷蔵庫、アイスノン、テフロン加工フライパン、ハッシュパピー(靴)、オロナミンC、チョコレートボール、ブラックニッカ(ウィスキー、1000円)、サッポロストライク(プルトップ式の瓶ビール)、ポッカレモン
流行語
アイビールック、フィーリング、スモッグ、モーテル、しごき、期待される人間像、歌屋、ブルーフィルム、明治百年、戦後二十年、ベ平連、宇宙遊泳、ティーチイン、猛妻、「やったるで」、「これはエライことですョ」、「メンドー見きれねーなー」、「タンパク質が足りないよ」、「中味が濃いからね」、「指圧の心は母心」
物価
都バス20円(1月)、公衆浴場28円、ビール115円→120円
ファッション
- 森英恵がニューヨークで初の海外コレクション開催
- 桂由美が日本初のブライダル・コレクション開催
- メンズ・モードで「ボンドルック」「007ルック」のキャンペーン合戦
- カラー:ルミナスカラーと紺赤白のトリコロール
- 1月にクレージュ、ミニスカート発表、9月にはミニスカートが日本上陸(帝人が膝上10cmのスカート「テイジンエル」を発売したのが国内におけるミニスカートの始まりとの説がある)
- ロマンチック調流行、ミンクプーム
- オプアートの2色プリントドレス登場
- シャツドレス人気
- 意匠糸のニットアェア増加
- アイビー・スタイルが高校生から大学生の間に流行。VAN全盛
- メンズモードでコンチネンタルが話題に
- ダークスーツ本格化
- リバーシブルコート再登場
- マドラスチェック流行
- ストレッチシャツ市販
- パーマネントプレス・シャツ開発始まる
- ストライプ・タイ好調
- スパンデックス使いのメンズソックス登場
- パターンストッキングを各社で発売
- シフォンのロングスカーフが爆発的人気
- 真珠の指輪が売れ始める(ネックレスはまだ売れず)
- サンローラン、モンドリアンルック発表
- 三宅一生、パリに渡航(サンディカで学んだあと、ギ・ラロッシュ、ジバンシィのメゾンに勤務。パリ五月革命にも遭遇)
- 全日本大学服飾連盟第一回総会開催
- 三菱レ、日本初の既製服用人台「アミーカ」開発
Fジャーナリズム
月刊「男の服飾」が「メンズクラブ」に改称
ファッション小売業
- 公取委、さくらデパートに不当景品表示の排除命令
- 八重洲口地下商店街開業
- 神戸・三宮のサンチカタウン開業
- 百貨店の物流センターづくりが活発化
- ウールワースが三栄貿易と日本で合弁企業設立
- 共同化ビル「神戸デパート」開店
- ダイエーの尼崎進出で、地元商店街が猛反対
- [そごう]紳士服PB「ロージェント」発表
- [東横百貨店]東京・世田谷に用賀物流サービスセンター完成
- [丸物]新宿店閉店
- 「井筒屋」博多に開店
- [イトーヨーカ堂]ヨーカ堂が年商100億円突破。伊藤ヨーカ堂に改称
- [オアシス]阪急系の量販店オアシスが宝塚店開店
- [ダイエー]花王石鹸を公取委に提訴。*労組結成(大手量販店では最初)
- [アオキインターナショナル]「洋服の青木」を設立。1号店の篠ノ井駅前店を開店。
- [西松屋チェーン]西松屋ストアーが子供向け衣料品の販売を開始
アパレル産業
- 掛け率引き下げ(80%→75%)が百貨店対象に始まり、専門店にも広がる
- エルギザ・グループ(シャツ卸商の共同開発グループ)誕生
- 大阪・丼池問屋街火事
- シームレスストッキング過剰生産
- 65年度の繊維企業倒産794件・633億円で史上最高。特にメリヤス、布帛製品、既製服に集中
- イトキンがキャシャレル、アルペンと契約し、海外のメーカーとの技術提携開始
- ヴァン・ヂャケットが「TAKE IVY」キャンペーンを展開
- 郡是製絲(グンゼの前身)がファンデーション事業開始
- コロネット商会がジバンシィの紳士服の輸入代理店契約
- 三陽商会が紳士服に進出。*「バーバリー」コートの輸入販売開始
- オールスタイルから独立してジャヴァ設立
- 高屋織物商事(タカヤ商事の前身)がジーンズ、ユニフォーム製造卸事業進出の基盤となる縫製工場が完成
- インターナショナル・ファウンデーション・&ガーメント(トリンプ)が本社を東京・神保町に設立。百貨店での販売を開始
- 三幸衣料(トレンザの前身)が米クックベンハイマー技術担当副社長M.R.マンシラス氏に技術指導を依頼し、「ザ・マンシラス」発売
- 内外編物(ナイガイの前身)がファンデーション分野に進出
- マルオ被服(ビッグジョンの前身)が国産第1号のジーンズを完成(CANTON)
- 高原シャツ工業(フレックスジャパンの前身)がコンピューターを導入
- 美津濃が英スピード社と水着の製造・販売でライセンス契約(2007年に美津濃側から契約打ち切り)
- レナウン商事が「イエイエ」をテレビCMで宣伝(「アパレル企業初のテレビCM。作曲/小林亜星、唄・弘田三枝子)。*次のCM「ワンサカ娘」もヒット。*ファンテーションに進出(米リリー・オブ・フランス社と提携して「レナウン・リリー」発売)
- ワコールが「タミー」ガードル開発
繊維・テキスタイル産業
- ナイロン自主減産を開始(東洋レ20%、日レ15%。1966年1月まで)
- 東洋レ・帝人がポリエステル・ステープルの自主減産を開始(後発3社も追随)
- ナイロン建値ふたたび値下げ(原糸17~18%、加工糸12~13%)
- 繊維・テキスタイル業界で中小企業の倒産激増
- 大手メーカーから染色業への加工料切り下げ要請強まる
- 日本染色協会役員が大阪大手メーカー6社に窮状を訴える(東洋レ、帝人、日レ、クラレ、旭化成、三菱レ)
- 日米両国の綿業首脳が箱根で会談
- 日本経編整染工業組合設立(加盟38社)
- 福井県繊維不況危機突破大会開催
- ナイロン6社が共同出資でナイロン糸布輸出振興会社を設立
- 紡協が「日本繊維産業の将来と恒久対策」発表
- 綿スフ紡績業が不況カルテルを結成(1967年3月まで)
- スフ綿メーカー15社が自主減産に入る(1966年12月まで)
- 綿スフ工連が綿布の2割操短を決定
- 合繊各社の9月期決算減益(3期連続減益)
- 羊紡会が合理化カルテル延長を決定
- 1965年の繊維消費量(糸ベース)で初めて化学繊維が50%凌駕
- 中国の追い上げで、生糸の輸出ストップ
- アクリル各社がコンジュゲート糸を相次いで発表
- 東洋レ・日レが鮮京織物(韓国)にナイロン織物の委託賃加工実施
- 日綿実業(ニチメンの前身)がニチメン衣料(現・ニチメンインフィニティ)を設立
- 三井物産がエフワンに資本参加。*木下産商の営業権譲受
- 三菱商事が金商又一に資本参加
- 八木商店が綿スフ織物部に賃織課を新設
- 酒伊繊維工業(サカイオーベックスの前身)が三菱アセテートのトリアセテート織物「ソアロン」染色加工の量産を開始
- 福井精練(セーレンの前身)本社工場が大阪税関保税工場の適用を受ける(輸入染原料)。*勝見工場がジャージー工場を竣工・操業。*ニット大型合理化工場・新田第三工場竣工、稼働を始める
- 日本クロス(ダイニックの前身)が人工皮革アイカスの製造を開始
- 旭化成が韓一合繊(韓国)にアクリル繊維の製造技術輸出契約調印
- 鐘紡がナイロンコンジュゲート糸開発
- 倉紡が岡山工場に合繊加工糸用仮撚機を設置。*テトロンと綿の混紡織物の輸出伸張
- 倉レが東京・大阪・倉敷で「クラリーノ」製品展示発表会開催
- 新日本窒素肥料がチッソ(株)に社名変更
- 帝人が中国人繊公司(台湾)にレーヨン紡績糸の製造技術輸出
- 東洋紡が岐阜工場のテクスチャード工場24時間連操開始。*浜松工場の連続自動紡績装置(CAS)24時間操業開始。*敦賀工場がパイレン生産開始。*東洋紡ダイヤシャツ設立。*呉羽紡との合併調印(合併実施は1966年4月)
- 東洋プロダクツがスパンデックス弾性糸オペロンの生産開始
- 東洋レがナイロン異形断面糸「アミック」販売開始。*初のコンジュゲート繊維「タピロン」(ナイロン6と66の複合)使いのストッキングを販売開始。*「シルック」和装品賑売開始。*高速仮より機(HFTC)を開発。*ナイロン66繊維「プロミラン」の生産開始(愛知)。*メニトーン”(黒×白“テトロン”糸)の生産開始(三島)。*「ハイテラック」合成皮革)販売開始(1969年収束)。*「シルジアン」(テトロン異形断面短繊維織物)販売開始
- 日清紡がスパンデックス糸「モビロン」発売。*美合工場でパーマネントプレス生産開始
- 日東紡がオペロンCSYの生産開始
- 三菱アセテートが米セラニーズ社からのトリアセテート繊維製造技術導入の認可取得
繊維・ファッション行政
- 通産省がニチボー・ビニロンプラントの対中国延べ払い輸出を承認(4か月後、中国が契約破棄を通告)
- 通産省が産構審繊維部会が繊維品流通機構の実態調査を実施
- 通産省が繊維局の絹毛化繊課・綿麻業課を廃し、原料紡績課・繊維製品課を設置。貿易振興局設置
- インドネシア政府が綿糸10万梱を延べ払い条件で輸入を申し入れる
- 最高輸出会議で40年度の繊維品輸出目標15億4,480万ドルと決定
- 公取委が綿・スフ紡績業(174社)の戦後初の不況カルテルを認可(~1967年3月)
- アメリカの1965年食糧農業法(いわゆる新綿花法)成立
- GATT綿製品委員会開催(ジュネーブ)
- 通産相が繊維工業構造改善対策を諮問
- 通産省がネクタイの品質表示を内示
- 大蔵省が輸出品に使った輸入原料の関税払戻制度の適用品目拡大を実施
政治・経済・社会
- 韓国が南ベトナム派兵を決定
- 日銀が公定歩合1厘引き下げ
- 佐藤首相訪米。ジョンソン米大統領と会談。マクナマラ国務長官に「中国と戦争になった場合には米国が直ちに核による報復を行うことを期待」と要請
- インドネシアが国連を正式脱退
- NY株式が900ドルを突破
- 原水協から社会党・総評系が分裂し、原水爆禁止国民会議(原水禁)結成
- 米軍機が北ベトナムのドンホイを爆撃(北爆開始、ベトナム戦争激化へ)
- 社会党が防衛庁の極秘文書(三矢研究)について「制服組の暴走」と政府を追及
- 世界共産党会議がモスクワで開催(中国共産党ほか6党欠席)
- 山陽特殊鋼が会社更生法の適用申請(負債540億円、戦後最大の倒産)
- 東京地検が東京都議会選挙をめぐる汚職事件で3都議を逮捕(のちに起訴)
- 米海兵隊、北ベトナムのダナンに上陸
- 日銀が公定歩合1厘引き下げ
- EC(欧州共同体)発足
- 東証一部の旧ダウ平均が安値更新(1157円)
- 「ILO87号条約の承認」と関係国内法案4件が衆議院の特別委員会で強行採決。6日後に修正案を本会議で可決。1か月後ILO87号条約承認、関係国内法成立(1966年6月発効)
- 社会党が衆議院大蔵委員会で「吹原産業融資問題」を追求。吹原弘宣社長逮捕
- ドミニカで内戦勃発。米軍が上陸。停戦協定調印
- 社会党臨時大会で新委員長に佐々木更三を選出
- 自民が衆議院内閣委で農地報償法案を強行採決。翌日本会議で可決
- 田中角栄蔵相が証券緊急対策として山一証券に無制限・無利子の日銀特別融資発表(1956年以来の異例措置)
- 福岡・山野鉱でガス爆発、死者237人
- 第1次改造佐藤内閣発足(蔵相に福田赳夫)
- 日韓基本条約調印(3億ドルの無償提供と2億ドルの貸し付けで合意し、請求権問題が最終的に解決)
- 公共事業費等 1000億円繰り上げ支出きまる
- 日銀が公定歩合を1厘引き下げ、窓口規制を廃止する(日歩1銭5厘となり、戦後最低。金融緩和進む)
- 第7回参院選(自民71、社会36、公明11、民社3、共産3、無所属3。東京地方区で自民党全滅)
- 東京都議選で社会党が第1党となる
- 第4回経済対策会議で不況打開緊急対策を決定(国債発行準備、財政投融資計画 1200億円追加など)
- シンガポールがマレーシアから分離独立
- 佐藤首相が首相としては戦後初の沖縄訪問(「沖縄の祖国復帰が実現しない限り日本の戦後は終わらない」と発言)
- カシミールで印パ紛争
- 日中総合貿易(LT貿易)協定調印
- インドネシアでクーデター発生。スカルノ大統領失脚(9・30事件)
- 完成自動車の輸入を自由化(自由化率93%)
- 日韓基本条約批准阻止で10万人デモ(日本は軍事同盟につながる不安、韓国は謝罪なしへの不満が原因)
- 衆議院本会議で日韓条約の批准を強行採決
- フィリピン大統領にマルコス当選
- 茨城県の東海村原子力発電所が初の業務用原子力発電に成功(本格的発電開始は1966年8月)
- ローデシアが英国からの独立宣言。国連安保理は非承認(対英断交9か国に)
- 政府が消費者米価,国鉄運賃,郵便料金値上げ方針を決定
- 不況対策として、初の赤字国債発行を閣議決定(募集開始は66年1月)
- 11月から「いざなぎ景気」へ(57か月の大型景気)
- 造船業界が進水量で10年連続首位確保
- 日本が国連の経済社会理事国、安保非常任理事国に当選
- 日本がOECDの常任理事国に当選
- 政府がボランタリーチェーン育成策発表
- 参議院本会議が日韓基本条約を自民・民社だけで可決。ソウルで批准書交換、発効
- 貿易収支(通関実績)が戦後初めて輸出超過になる
- 実質経済成長率が10.3%に落ち〈安定成長〉へ
- 消費者物価指数が7.4%上昇、物価問題深刻
- 戦後最大の証券不況の年
- 経済白書の副題「安定成長の課題」
- (第5景気循環の後退期=オリンピック不況、10月を底にして上昇へ)