1956年(昭和31年)
ビック・トピックス
- 神武景気続く
- 日ソ国交回復
- 百貨店法施行
- パリモードへの傾斜強まる
- ジーンズ・スタイル流行し始める
生活・文化
- 大阪で開催の「美空ひばりショー」に群集殺到、死傷者10人
- 第7回冬季オリンピックを伊のコルティナ・ダンベッツォで開催(トニー・ザイラー(オーストリア)が初のアルペン三冠王、狩谷千春がスキー男子回転で2位に入り日本人初の冬季でのメダル獲得)
- 「米国余剰農産物に関する日米協定」締結(米国は給食用小麦を初年次10万トン、次年度からは1/4ずつ減らして4年次には2万5000トンを無償援助し、日本は年間18万5000トンレベルの小麦給食を維持するという協定。これによって日本にパン給食が定着し、米国は余剰小麦の輸出先を確保できた)
- 出版社による初の週刊誌「週刊新潮」発刊(週刊誌ブームのさきがけ)
- 「主婦の友」が3月号からB5版の大型化へ。婦人雑誌の大型化が始まる
- 日本住宅公団、初の入居者募集開始(団地の誕生。浴室つき・男女共用トイレが特徴)
- 能代大火(低気圧による強風で2次火災が発生し、負傷者19人、焼失家屋1600戸、焼損面積18万㎡)
- 由利徹、八波むと志、南利明の3人が脱線トリオを結成
- 千葉県稲毛団地で入居開始(住宅団地第1号)
- 日本隊がヒマラヤ山脈のマナスル登頂に成功
- 東大教授がペニシリンショックで死亡。ペニシリン濫用に警告
- 売春禁止法公布(施行は1958年)
- 首都圏整備法施行(これによって「首都圏」という言葉が広く使われるようになった)
- 警視庁が愚連隊取締り本部設置
- 気象庁発足
- 清瀬一郎文部大臣が記者会見で「男女共学は弊害がある。改めて考慮すべきときにきている」と発言
- 大舘大火(台風9号通過直後のフェーン現象で、負傷者16人、焼失家屋1344戸、焼損面積16万㎡)
- 魚津大火(台風12号通過直後のフェーン現象で、死者5人、負傷者170人、焼失家屋1677戸、焼損面積18万㎡)
- 大東京 500年祭
- 延暦寺火災(放火によって大講堂・鐘楼・木彫り仏像14体が焼失)
- 佐久間ダム完成(当時日本一の規模で戦後の復興と経済再建のシンボルだった)
- 東海道本線、全線電化完成(米原−京都間が完成)
- 第16回オリンピックをストックホルムで開催(体操の小野喬が個人総合で優勝するなど金4・銀10・銅5を獲得)
- 大阪に梅田コマ劇場開業。翌月には東京に新宿コマ劇場開業
- 中部日本放送(テレビ)、大阪テレビ放送(現・朝日放送)が開局
- 女優の岸恵子がフランスの映画監督と結婚
- サッポロビール、北海道で発売(全国発売は翌1957年)
- 自動巻腕時計登場
- 東芝が脱水装置付き洗濯機、自動ホップアップ型トースターを発売
- 「マンボの王様」ペレス・プラード来日、マンボ族出現
- プレスリー人気でロックンロールが流行し始める
- シスターボーイ登場
- 映画館ブーム、東京で452館
- 新製品=自動反転式洗濯機、携帯用電気毛布、スリッパ型足温器、電気フライパン、テトラパック入り牛乳、合成洗剤「トップ」
流行語
一億総白痴化、愚連隊、太陽族、シンタロー刈り、戦中派、抵抗派、デイト、ドライ、マネービル、「もはや戦後ではない」
物価
たばこ(ピース10本)45円→40円、都電10円→13円
ファッション
- 第1回FEC賞に大塚末子が選ばれる
- 第1回産経服飾文化賞に遠藤政次郎、杉野芳子、田中千代が選ばれる
- 文化服装学院、「装苑賞」設置
- 戸倉緑子(モデル)がミス・ワールド3位になる
- カラー:ビタミンカラー(トマト、レモン、オレンジなど)
- パリモードへの傾斜強まる
- ケープ登場
- 落下傘スタイル全盛(カンカンペチコートも流行)
- マンボ・スタイル流行(細身のパンツ、ルーズなジャケット、ピンクのロールカラー・シャツなど)
- ジーンズ・スタイル流行し始める
- レーヨンの色無地シャツ人気
- ナイロン・トリコットのブラウスやシャツ発売
- ワンポイントマークのポロシャツ登場
- クリンプナイロンのセーター、ソックス普及
- アセテート・トリコットのスリップ発売
- 鴨居羊子によってカラフルなパンティのブーム発生
- アクリル肌着第1号「カネカロン肌着」発売
- プリント・タイの需要ピーク
- 映画「夜の河」でろうけつ染めネクタイ人気
- 金色の婦人ベルト「マイラー」出回る
- 紳士用ベルト、フリーサイズ増加
- 落下傘スタイルに合わせてポニーテール流行
- 衣料消費が1937年並みの3.6kgに
- ディオール、春夏にFライン(アローライン)、秋冬にマグネットライン発表
Fジャーナリズム
センイ・ジヤァナルが「メリヤス機器展」を開催
ファッション小売業
- 百貨店法施行を目前に、各地で駆け込み増設激増
- 日本デパートメントストア協会、日本百貨店協会に改称
- 日本スポーツチェーン(VC)設立
- 日本モードシューズチェーン(VC)設立
- [伊勢丹]オリジナル子供既製服で好評呼ぶ
- [白木屋]マギー・ルフと提携。*化繊生地による「春の婦人服デザインコンテスト」開催
- [西武百貨店]軽井沢店開業。*社内マーケット部門として「西武ストア」設立
- [高島屋]「イタリアン・フェア」開催(戦後初の外国テーマのイベント)
- [阪急百貨店]数寄屋橋阪急を開店
- [松屋]銀座店に空中エスカレーター完成
- [三越]本店の第1期増改築工事が完成、全国一の店舗になる
- [佐賀玉屋]友の会発足。全館冷房開始。従業員・家族合同慰安会を開催
- [十合ストア]久留米で十合ストア開店(日本最初のディスカウントストア)
- [東急ストア]東横百貨店が東横興業を分社。東横興業が東光ストアを設立
- [西友]西友ストアー設立
- [丸和フードセンター]小倉で丸和フードセンター開店(120坪、日本最初のスーパーマ—ケット)
- [八百半]熱海でスーパーに転換して開店
- [銀座花菱]銀座5丁目に開店
- [西松屋チェーン]姫路の呉服店「着物の西松屋」が別部門としてお宮参り衣裳や出産準備品を販売する 「赤ちゃんの西松屋」を設立
アパレル産業
- 日本ニットウェアデザイン協会(JAKDA)発足(会長/依田耕一=内外編物、理事長/金窪勝郎=レナウン)
- 東京ブラウス組合結成
- 洋品共同展「グッドデザイン東京」(年2回)スタート
- シャツ生地交換会「布久和会」復活
- 日本輸出縫製品工業協同組合連合会(輸縫連)設立
- ナイロントリコット縫手袋、米・加へ輸出伸びる
- 繊維関係中小企業団体連絡協議会設立、化合繊メーカー・紡績企業の二次製品進出反対を表明
- 敷紡、メリヤス製品のチョップ発表(以後、日紡、倉紡、東洋紡などが相次ぐ)
- 新しい横編ニット産地の形成進む(福島、山形、太田、新潟など)
- イトキンが東京支店を開設
- ヴァン・ヂャケットが「男の服飾」6号でアイビールック特集。ターゲットを若者へシフト
- 栄光商事が日本で初めてジーンズを輸入販売
- オールスタイルが東京店を東神田に開設
- 三喜商事が輸入卸商として大阪に創立
- 高屋織物(タカヤ商事の前身)が内地販売部門を分離し、高屋織物商事(株)を設立
- ファミリアが数寄屋橋阪急に直営2号店を出店し、全国展開を開始
- レナウン商事が本社を内神田(鎌倉河岸)に移転。
設立 東京いぎん、カントーグループ
繊維・テキスタイル産業
- 日本綿業振興会設立、第1回コットンウイーク開催
- 繊維相場急騰
- レーヨンFの原糸高・織物安・糸不足発生、イタリア糸の輸入が叫ばれる
- レーヨンF続騰
- 設備臨時措置法に端を発して、紡績機の駆け込み増設が急増(例:レーヨンS設備は、前年12月比で45%の大増設になる)
- 貝原織布(カイハラの前身)が世界初の動力織機による36インチ(90cm)幅の広幅絣を開発(商標:ニチボーコニイ)
- 酒伊繊維工業(サカイオーベックスの前身)がナイロン・パラシュートの生産を開始
- 新日窒が日窒アセテート設立(のちに旭化成に吸収)
- 東洋紡が住友化学との共同出資で日本エクスラン工業を設立
- 東洋レが日レのナイロン発売に先手を打って、ナイロン原糸、加工糸、織物を全面的に大幅値下げ
- 三菱レが米セラニーズ社と技術提携し、菱光アセテート設立
繊維・ファッション行政
- 商社の外貨保有制度実施
- 繊維産業総合対策審議会(繊総審)が過剰設備処理に関して答申
- 綿製品対米輸出規制開始(57年から施行。輸出規制の始まりで、総枠1億5000平方ヤール)
- 繊維工業設備臨時措置法」(繊維旧法。設備登録、過剰設備の処理など)施行(〜1964年)
- 百貨店法施行
- 通産省がレーヨンS増設計画縮小を要請
- 通産省がレーヨンFの高値抑制策として300万トンの緊急輸入を発表
政治・経済・社会
- スーダンが独立
- 原子力委員会発足
- 鳩山首相が参院本会議で、軍備を持たない現行憲法には反対と答弁。2日後、取り消し
- 衆院が原水爆実験禁止要望決議案を可決。翌日、参院も可決
- ソ連共産党20回大会が平和共存路線を採択。フルシチョフがスターリン批判演説
- 日本原子力産業会議発足
- 自民党大会が鳩山一郎を初代総裁に選出
- コミンフォルム解散
- 衆院が新教育委員会法案をめぐって混乱( “暁の国会” で可決)
- 河野一郎農相らがモスクワで漁業交渉を開始(日ソ漁業条約調印)
- 衆院が小選挙区法案をめぐって大混乱(衆院で審議未了、廃案)
- 毛沢東が「百花斉放、百家争鳴」を提唱
- フィリピンと賠償協定調印
- 参院が新教育委員会法案をめぐって大混乱。翌日、国会に警官隊を導入して同法成立
- 米民政府が沖縄米軍基地に関するプライス勧告発表。島ぐるみの反対運動高まる
- スエズ運河地帯駐留英軍が完全撤退(1882年以来の英国の支配が終わる)
- 日独貿易協定締結
- 国民投票によってエジプト共和国憲法採択。初代大統領にナセル
- ポーランドのポズナニで反政府暴動発生
- 国防会議発足
- 第4回参議院選挙(自民党勝利。革新派が1/3を確保。創価学会初進出)
- 経済白書が「もはや戦後ではない」と規定
- ナセル・エジプト大統領がスエズ運河国有化を宣言
- 重光外相、モスクワで日ソ交渉再開(外相はソ連側の歯舞・色丹2島返還案を受諾のほかなしと請訓したが、政府は国後・択捉を含む4島一括変換を求めてソ連案を拒否、交渉中止)
- 財界首脳が自民党に鳩山引退と庶政一新を申し入れ
- 鳩山首相が日ソ交渉再開の5条件を提案し、ブルガーニン首相同意(鳩山首相・河野農相らモスクワで正式交渉開始)
- 文部省が教科書検定強化のため教科書調査官を設置
- 砂川町第2次測量を強行実施し、反対派と警官隊が衝突。その後、政府、測量中止を決定
- 日ソ国交回復に関する共同声明調印。鳩山首相が日ソ国交回復を花道に引退表明
- ブタペストで学生・労働者の反ソ・反政府暴動発生(ハンガリー動乱)。ソ連軍が鎮圧に出動
- イスラエル軍がエジプトに侵入(スエズ運河の利権回復を狙った英仏がイスラエルに軍事援助して開始、第2次中東戦争/スエズ戦争)。翌日、英仏軍がイスラエルと共同してスエズ運河に進撃
- 国連緊急総会でイスラエル・英・仏に即時停戦を求める決議採択。英仏受諾。つづいてイスラエルも受諾
- 批准書を交換し、日ソ国交回復が正式発効
- 自民党大会が石橋湛山を総裁に選出
- 国連総会が日本の国連加盟を承認
- 鳩山内閣総辞職。石橋湛山内閣成立
- 沖縄那覇市長選。瀬長亀次郎人民党書記長が当選
- 神武景気で民間設備投資ブーム(1兆3700億円、前年比77%増)、鉱工業生産指数20.1%成長)
- 東証ダウ平均株値500円突破
- 経済白書の副題「日本経済の成長と近代化—もはや戦後ではない」
- (第3景気循環上昇期の神武景気続く)