1949年(昭和24年)
ビック・トピックス
- ドッジ・ラインの進展でインフレは収束へ、中小企業には倒産続出
- 1ドル360円になり、綿織物を中心に繊維輸出が急増
- レディスファッションはまだアメリカ摸倣時代
- 夏にアロハシャツ流行
- 統制が続くなかで、ファッション産業の創世期がスタート
生活・文化
- 初の「成人の日」実施
- 法隆寺金堂から出火し、国宝の十二面壁画の大半が焼損(現在の壁画は1967〜68年に当時の著名画家たちによって模写されたもの)
- 東京消防庁が「119番」電話を設置
- 新制国立大学69校が各都道府県に設置され、駅弁大学と言われ始める
- 酒類が自由販売になる
- 戦後初めてバナナを台湾から輸入
- GHQが美観上の問題から東京の露店6000軒に1950年3月末までの取り払いを指令
- ロサンゼルスでの全米水上選手権で古橋広之進が4つの世界新記録を達成(米紙で「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた)
- キティ台風で東日本に大被害(死者・行方不明者160人、全半倒壊家屋1万7203戸)
- 特急列車復活(東海道線の東京・大阪間に「へいわ」登場(翌1950年1月「つばめ」に改称)
- 上野動物園で、インドのネール首相から贈られた象のインデラが初公開
- 戦後初の日米野球。サンフランシスコ・シールズが来日し、後楽園で巨人と第1戦
- GHQが新聞やラジオの検閲廃止
- 道路交通取締法の改正によって「人は右、車は左」の対面交通が始まった
- 湯川秀樹博士がノーベル物理賞受賞(受賞対象は「中間子論」。初の日本人受賞)
- プロ野球が2リーグに分立
- 新聞の夕刊復活
- お年玉付き年賀はがき、初発売(特賞高級ミシン、1等純毛洋服生地)。寄付金付きも発売
- 舟橋聖一の新聞小説「花の素顔」でデザイナーが主人公に
- ビヤホール復活
- 回転寿司の1号店開店(東大阪の「元禄」)
- ヒロポン中毒増加
流行語
アジャパー、ギョッ、アプレケール、駅弁大学、厳粛なる事実、白堊の恋、三バン(地盤、看板、カバン)、ワンマン(当時は吉田首相のこと)、サカサくらげ、自転車操業、竹馬経済、ドッジ・ライン
物価
封書8円。国鉄最低料金5円。都電6円→10円。ビール126円50銭
ファッション
- 英文毎日が第1回ティナ・リーサ賞発表ファッションショーを開催
- NDC、第1回ファッションショーを日劇で開催
- 東京都主催の水着ショーを新宿で開催
- カラー:アメリカンカラー続く、ツートーンカラー出現
- トッパーにスラックスのスタイル流行
- アメリカン・スタイル全盛(フレアスカート、フレンチスリーブ、明るい色の大柄プリント、原色コートなど)
- ロングスカート、パネルスカート登場
- 夏にアロハシャツ流行
- レーヨンのオープンシャツ登場
- 7G天竺編セーター、カラフルなセーターに人気
- 人絹・絹のトリコットスリップ出現
- 朱子織、石目織のネクタイ出始める
- 正絹のジョーゼット・スカーフ発売
- ビニール・ベルト流行
- 洋裁学校急増(全国に約2000校、生徒約20万人)
Fジャーナリズム
「ドレスメーキング」創刊
ファッション小売業
- 全国各地で小売店主催のセリ市、交換会など盛ん
- 洋装店(洋裁店)の増勢続く
- [大丸]鳥取大丸を関係百貨店とする。大丸ドレスメーカー女学院(現・ディーズファッション専門学校)を京都店6階に開校。
- [佐賀玉屋]ラッキーセール好評(15人に一人はお買物がタダになる)
- [銀座かねまつ]法人に改組し、(株)かねまつ設立
- [イオン]フタギが株式会社に改組し、フタギ(株)を設立(資本金100万円)。二木一一が社長に就任
アパレル産業
- ドッジラインによる金融引き締めで不況に突入し、メリヤス、縫製品の中小企業に倒産続出
- 正絹のジョーゼット・スカーフtが輸出活況
- 日本メリヤス協会が「企業合理化統合要領」を発表(GHQが「団体による業界指導は禁止」)
- 横山町奉仕会が奉仕券サービスを再開
- 関西ネクタイ商工業協同組合設立
- 日本靴下協会設立
- 東京ズボン吊ガーター布バンド工業協同組合が東京洋装雑貨工業協同組合に改称
- 東京都洋装雑貨卸商業協同組合を再建
- 赤ちゃん本舗が有限会社から株式会社へ組織変更(当時はベビー衣料の現金卸商)
- 鬼塚喜八郎が神戸で鬼塚商会(アシックスの前身)を創業し、バスケットシューズを製造販売。*鬼塚商会が鬼塚(株)に組織変更
- 勝根又商店(大賀の前身)が株式会社に改組
- 三宅敏彦が大阪・船場に生地卸商の三永(株)(サンエー・インターナショナルの前身)を設立
- 三陽商会が百貨店への販売開始
- 東京縫製(東京スタイルの前身)設立
- 内外編物(ナイガイの前身)が株式市場一部上場
- 佐々木営業部(レナウンの前身)が神戸センター街にレナウン・サービスステーションを開設(紳士服を石津謙介、婦人服を田中千代が担当)。
*佐々木営業部が生地部門を設置し、「レナウンファブリック」を発売 - 和光商事(ワコールの前身)設立。塚本幸一が社長就任。ブラジャーの企画・生産・販売を開始
繊維・テキスタイル産業
- インドのOGL制度廃止で、レーヨンF大量在庫
- 単一為替レートの設定によって、綿織物を中心に繊維品の輸出が急伸(全輸出の55%を占める)
- 横浜生糸市場再開
- 財閥解体によって大建産業から伊藤忠商事(株)、丸紅(株)、呉羽紡績(株)が分離独立
- 財閥解体によって鐘淵紡績から鐘淵化学工業(株)が分離独立
- 財閥解体によって倉敷紡績から倉敷絹織が分離独立し、倉敷レイヨン(株)を設立
- 財閥解体によって旧・帝国繊維から帝国製麻(株)、中央繊維(株)(1959年に両社は合併し、新・帝国繊維を設立する)、東邦レーヨン(株)が分離独立
- 呉羽化学工業(クレハの前身)がクレハロンの開発に成功
- 大日本セルロイドがアセテートS生産開始
- 東洋レの滋賀工場がナイロンF(120d、250d)生産開始。*東洋レがナイロン短靴下分野に糸販売開始
- 日東紡の子会社のパラマウント硝子工業がガラス繊維生産開始
- 米ユニオン・カーバイト社がダイネル(アクリルニトリル/塩化ビニル共重合繊維)生産開始
繊維・ファッション行政
- 貿易庁が国有繊維の民間払い下げを発表
- 物価庁が輸出繊維製品の価格、加工賃の統制を撤廃
- 政府が輸出振興のため輸出向け人絹・スフの価格統制撤廃など優遇策実施
- 商工省が人絹・スフ生産割当方式を、設備生産実績から輸出契約郵船割当に変更
- 経済安定本部が繊維復興5か年計画を決定
- 商工省がアセテート繊維の公定価格と配給統制を撤廃
- 繊維品に関する三本建てレート決定(輸入=330円/ドル、輸出=レーヨンS・Fは330円/ドル、レーヨン織物は420円)
- 商工省がレーヨンS、レーヨン紡績糸の価格統制撤廃
- 商工省が「合繊工業の急速確立に関する件」を決定(①外貨節約と繊維自給率の向上のため、②合繊工業への助成(東洋レのナイロン(アミラン)、クラレのビニロンに集中)、③法人税免除、機械輸入税免除、電気ガス税免除、合繊輸入の高関税の定、建設資金の低利融資など)
- 経済安定本部・資源調査会が「合成繊維工業育成勧告」を吉田首相に提出
- 「輸出振興のための外貨優先使用制度」公布
- 通産省が衣料品配給規則を改正(絹、人絹、レーヨン交織物などの衣料品配給統制撤廃)
- 通産省が第1回通商白書発表
- GHQが日本商社の海外支店設置を許可
- 人絹織物、紡毛織物の衣料切符制廃止
- GHQが日本輸出品のフロア・プライス制撤廃(自由貿易へ。絹織物と生糸は除外)
- レーヨンF・織物の配給統制撤廃。レーヨン糸、特紡、ガラ紡の統制撤廃
- レーヨン製品および屑繊維品の衣料品配給統制を撤廃
- 織物消費税廃止
- 物価庁が輸出繊維製品の価格・加工賃統制を撤廃
- GHQが綿製品輸出の報奨として内需割当の一部を与えるとのメモランダムを発表
- 通産省が「臨時繊維機械設備制限規程」施行
政治・経済・社会
- GHQ、外国業者の対日投資、日本国内での支店開設を許可
- 総選挙で、民自党が単独過半数を獲得(社会党は片山委員長が落選するなど惨敗。共産党35と躍進)
- ソ連と東欧5か国の代表者会議でコメコン(東欧経済相互援助会議)創設を決定
- 第3次吉田内閣成立
- ドッジ米公使が日本経済自立安定に関して勧告(竹馬経済からの脱却、インフレ収束などを強調)
- 経済復興5カ年計画改訂版スタート(5年後、一人当たり実質国民所得を30〜34年のレベルに)
- 団体等規制令公布
- 北大西洋条約機構(NATO)成立(米・英・仏をはじめ西欧12か国が参加)
- ドッジ米公使が49年度予算について声明(ドッジ・ライン。超均衡予算の実施、補給金の廃止など健全財政の徹底を強調)
- 大蔵省がGHQの覚書にもとづいて1ドル=360円の単一為替レートに設定
- 米政府が賠償打ち切りをマッカーサー元帥に指令。GHQが賠償の事実上の打ち切りを発表
- ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立。暫定首都はボン
- 商工省と貿易庁、石炭庁を発展統合して通商産業省が発足
- 中小企業協同組合法施行
- 日本国有鉄道(現・JRグループ)、専売公社(現・日本たばこ産業)、国民金融公庫発足
- 日本工業規格(JIS)制定
- 仏が傀儡政権の「ベトナム国」(南ベトナム)を樹立
- 独占禁止法改正公布(制限の緩和)
- 徳田共産党書記長、9月までに吉田内閣打倒と発言(9月革命説)
- 下山事件発生(下山国鉄総裁の轢死体発見。前日、国鉄は第一次人員整理を発表していた)
- 三鷹事件発生(三鷹駅構内で無人列車暴走。3日前に国鉄は第二次人員整理を発表していた)
- GHQが集中排除審査委員会(5人委員会)の任務完了と発表
- 松川事件発生(東北本線金谷川・松川間で列車転覆)
- シャウプ税制使節団が税制改革勧告案発表(直接税中心主義、資本蓄積のための減税、地方税制の再編強化、徴税の合理化などが盛り込まれた)
- 英ポンド平価30%切り下げ(4.03ドル→2.80ドル)
- 毛沢東主席が中華人民共和国の成立宣言
- ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
- GHQが民間貿易の再開を指示(輸出は12月1日から、輸入は1950年1月1日から実施)
- 米国務省が対日講和条約を検討中と言明(講和論争が活発化)
- 吉田首相が参院で単独講和も全面講和に導く一つの途であると答弁
- ココム(対共産圏輸出統制委員会)成立
- 完全民間貿易再開のため「外国為替及び外国貿易監理法」公布・施行(輸出は全面的に民間貿易に切り替え)
- 国民党政府(中華民国)が首都を成都から台北へ移転
- 東京株式市場暴落。「ドッジ不況」深まる
- 社会党が全面講和・中立堅持・軍事基地反対の平和3原則を決定
- GHQがCIF建ての輸出を許可
- インドネシア連邦共和国成立