1945年(昭和20年)
ビック・トピックス
- 第2次世界大戦終結(日本、ポッダム宣言受諾、無条件降伏)
- GHQが5大改革(婦人解放、経済機構の民主化など)を指令
- GHQが多くの百貨店を接収
- ヤミ市続出
- 市民はタケノコ生活、ファッション空白時代(モンペ・国民服・復員服)
生活・文化
- 米の配給が1割減の1人1日2合1勺(297g)になる(米の配給は少なく、小麦粉、大豆、豆粕、クズ芋まで配給される。それも遅配・欠配が相次ぎ、空襲を気遣いながらのヤミ屋での調達、農村への買い出しが続く)
- 天皇、戦争終結の詔書を放送(玉音放送)(8月15日)
- 内務省が地方長官に占領軍向け「慰安施設」設置を指令
- 灯火管制解除。信書の閲覧廃止
- 東京・新宿駅前にヤミ市の先駆「新宿マーケット」(尾津組)が出現(「光は新宿マーケットより」が標語)
- シラミが媒介する発疹チフスの予防のため、DDTの空中散布、学校や街頭での頭髪への強制散布開始
- 西日本に枕崎台風(死者・行方不明2400人)
- 外地部隊の復員第1号船「高砂丸」が1700人を乗せ別府港に入港
- 米の収穫量が 587万トンと大正・昭和期最大の凶作で、食糧危機が深刻化。漁獲量も昭和期最低の記録
- 全国で弁当を持参できない学童が続出。このため午後の授業が中止になる
- 第1回宝くじ発売(1等は賞金10万円と純綿キャラコ2反。からクジ4枚でたばこの「金鵄」10本)
- 東京・日比谷公園で餓死対策国民大会開催。米3合配給を要求
- 日本火薬王子工場がズルチン完成(砂糖の代用品としてもてはやされた)
- 警視庁が露店の暴利と衛生取締りを強化
- 厚生省の調査で、東京のヤミ市は200個所、1万7000店、露天商人数推計8万人
- GHQが修身・日本史・地理の授業停止、教科書回収を命令
- 食糧危機が深刻化。和服を食料に交換する市民が急増(「タケノコ生活」と呼んだ)
- 賃上げ要求などのストライキ急増(10月以降)
- 疥癬が全国的に蔓延(三木清の獄中死も疥癬が原因とされた)
- メチルアルコールによる死亡者が続出
- 輪タク出現
- GHQ、映画・演劇について軍国主義を鼓吹するもの、封建思想の濃厚なものを禁止(「忠臣蔵」「千代萩」「寺子屋」「水戸黄門記」「番町皿屋敷」をはじめ、チャンバラ物、心中物、曽我物、敵討物などは上演禁止)
- 太平洋戦争による戦没は軍人230万人(餓死が60%以上)、民間人60万人で計310万人以上
- 戦中に企業整備などで失職した人が300万人、戦後の軍需工場閉鎖などで10月までに400万人の失業が発生。さらに復員兵(363万人)や引揚者が加わって、失業者数は1000万人に達した
- 空襲や強制疎開による喪失住宅は310万戸、家と財産を失った人は1500万人
- 人口:7214万人
流行語
虚脱状態、一億総懺悔、買い出し、タケノコ生活・タマネギ生活、ヤミ市・青空市場、終戦、戦後、民主化、進駐軍、戦犯、復員、戦争未亡人、戦災孤児、浮浪児、DDT、バラック、銀シャリ、輪タク、パンパン、肉体の防波堤、 GHQ、MP、ギブミーチョコレート、進駐軍の命令により、第三国人、四等国、ロウソク送電、ピカドン・特殊爆弾、踊る宗教
物価
葉書5銭・封筒10銭、ヤミ米1升70円、ヤミ砂糖1貫目1000円
ファッション
- 女性はモンペ(次第にズボンに移行)・更生服・ズック靴、男性は復員服・国民服・軍靴で、ファッション空白時代
- 一部男性に予科練スタイル(飛行帽・飛行服・半長靴、首にパラシュートの生地でつくった白マフラー)が流行
- 一部でパーマネント復活
- カラー:国防色、生成り
ファッション小売業
- 全国各地にヤミ市出現(東京での第1号は新宿マーケット、続いて和田マーケット、民衆市場など。神戸三宮では高架下のヤミ市やそごう百貨店前のジャンジャン市場)
- GHQによる百貨店の接収相次ぐ
- [高島屋]当時本店だった大阪店には卸部を新設し、引揚げ社員や復員社員を中心に全国各地の産地から物資を収集して、卸販売や文芸書、大衆雑誌の出版事業なども行う
- [松屋]浅草店は戦災により営業面積激減(銀座店はGHQによる接収が7年間つづく)
- [岡島百貨店(甲府)]7月の甲府空襲で内部は焼けたものの外部は焼け残り、ほどなくして営業を再開。
- [岡政百貨店(長崎)]衣料品と引き換えに食品を主とした物品の交換コーナーを開設(ヤミ市の横行で、統制価格が無視されていたが、百貨店法の規制もあって百貨店はヤミ販売もできず、復興を待ち続けていた)
- [イトーヨーカ堂]羊華堂洋品店が戦災で浅草から北千住へ移転
- [三愛]市村清(理研光学工業→リコー)が銀座4丁目に三愛商事(三愛の前身)を設立し、食料品店を開業
- [新宿高野]新宿の高野商店は空襲で本店ビル被災、営業全面停
- [鈴屋]鈴屋洋品店が東京・上野広小路に出店、「鈴屋」と改称
- [田屋]戦火による焦土から店舗を再建、営業を続ける
- [和光]GHQによりPXとして接収
- 米シアーズ、年商10億ドル達成
アパレル産業
- 繊維統制会、衣料緊急増産対策を決定(罹災者の越冬対策919万人対象。毛布・布団・肌着など)
- 繊維統制会、保有する衣料品の残量を戦災者、農漁村用に緊急配給(作業衣・学童服・浴衣・布帛肌着・メリヤス肌着・軍手・靴下・足袋・毛布・敷布など)
- 横山町の一部で雑貨(小間物、装身具など)の現金問屋復活
- 樫山商店(オンワード樫山の前身)は倉庫(銀行の2〜3階)が戦災を免れ、無事だった製品、生地で営業を再開
- 三陽商会がレインコートの販売開始
繊維・テキスタイル産業
- 8月末に綿紡は10社(37年末82社)、38工場(同285工場)
- 繊維統制会、保有する衣料品の残量を戦災者・農漁村用に緊急配給(晒・綿織物・綿縫糸・絹縫糸など)
- 繊維統制会の事業を継承する民主的な繊維統制機関として日本繊維協会が発足
- 繊維学会が学会誌刊行再開
- 大阪北港が日本建設産業(住友商事の前身)に改称
- 東洋麻糸紡績が東洋繊維に商号変更
- 東洋レが滋賀工場でナイロンテグスの生産再開
繊維・ファッション行政
- GHQが設置され、日本の行政はそのコントロールの下に置かれる(~1951年4月)
- GHQが繊維品を含む民需用物資の生産維持を許可(綿紡10社、化繊7社、新紡20社・精紡機200万錘など)
- GHQが綿紡に綿花の輸入を認め、軍需用綿花の民需転換も許可(米国は綿花を輸出したかった)
- GHQが綿・毛・スフの使用と生糸・絹に対する凍結を命令、8月に遡っての生産報告と在庫調査を指示(ここからESS月報が始まる)
政治・経済・社会
- 天皇が戦争終結の詔書を放送(玉音放送)。ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦終結(8月15日)
- 鈴木貫太郎内閣総辞職
- 初の皇族内閣の東久邇稔彦内閣成立
- インドネシア共和国、独立宣言。大統領にスハルノ選出
- 満州国皇帝溥儀が退位し、満州国が消滅
- 大東亜省、軍需省、農商省を廃止。商工省と農林省を復活
- 東久邇宮首相が「一億総懺悔がわが国再建の第一歩」と発言
- 米艦ミズーリ号上で、全権重光葵外相・梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印(9月2日)
- GHQが軍需生産全面中止を指令
- マッカーサー連合国軍最高指令官が北緯38度線を境に米ソによる南北朝鮮の分割占領を発表
- ホー・チ・ミン主席がベトナム民主共和国樹立を宣言
- GHQが「言論および新聞の自由に関する覚書」を発表し、占領軍、連合軍に関する報道を制限
- GHQが東条英機ら戦犯容疑者39人の逮捕を命令。東条自殺未遂
- GHQが「日本に与ふる新聞準則(プレスコード)」を指令
- GHQが「日本に与ふる放送準則(ラジオコード)」を指令
- 天皇がマッカーサーを訪問
- GHQ、政府に人権指令(天皇に関する批判の自由、政治犯釈放、思想警察全廃、治安維持法の撤廃)
- 東久邇内閣、人権指令を実行できずとして総辞職
- 中国で内戦始まる(国共内戦。国府軍が台湾上陸)
- 幣原喜重郎内閣成立
- GHQが東京の5新聞の事前検閲開始
- GHQが5大改革(婦人解放、労働組合の結成奨励、学校教育民主化、秘密審問司法制度の撤廃、経済機構の民主化)を指令
- GHQの命令で治安維持法および関係法令(思想犯保護観察法、予防拘禁手続令など)を廃止
- 国際連合(国連)発足
- GHQが持株会社解体(財閥解体)を指令。4大財閥が解体命令に同意
- GHQが皇室財産の凍結を指令
- ナチス・ドイツを裁くニュールンベルグ国際軍事裁判開廷
- 陸軍省・海軍省を廃止して、第一復員省・第二復員省を設置
- GHQが戦犯容疑者68名の逮捕を指令。近衛文麿、服毒自殺
- GHQが国家と神道の分離を指令
- GHQが農地改革に関する覚書発表
- 衆議院選挙法改正公布(婦人参政権、大選挙区制など)
- 国家総動員法および戦時臨時措置法廃止
- 米・英・ソ3国のモスクワ外相会議を開催し、「モスクワ宣言」を発表(朝鮮信託統治、極東委員会・対日理事会設置など)。これによって朝鮮が米ソの信託統治になる
- 森戸辰男・鈴木安蔵、高野岩三郎などが憲法試案を発表
- 「ブレトンウッズ協定」が発効。国際通貨基金・国際復興開発銀行設立
- 第一次農地改革始まる(小作料金金納制だけ実現)
- 日本社会党、日本自由党、日本進歩党、日本協同党結成。共産党も再建
- ナチスよるユダヤ人大量虐殺発覚(収容所17個所、犠牲者500万人以上)