1955年(昭和30年)
ビック・トピックス
- 神武景気始まる(55年上期~57年上期)
- 保守合同・社会党統一で「55年体制」始まる
- 繊維製品品質表示法公示
- パリコレ発表のラインがすぐさま影響を与え始める
生活・文化
- 炭労・私鉄・電産など民間6単産が春季賃上げ共闘会議総決起大会を開催(春闘の始まり)
- 日本ジャーナリスト会議設立
- 民放2番目のラジオ東京テレビジョン(KRT=現・TBS)開局
- 小学校は「カタカナより先にひらがなを習う」と決まった
- 西日本一帯で強風雨。特に九州では豪雨で各河川が氾濫。死者22人,行方不明64人,家屋の浸水5,974戸などの被害。降雨量は福岡管区気象台開設以来の記録
- ハナ肇、谷啓、植木等らがクレージーキャッツ結成
- 広島の「原爆乙女」25人がアメリカへ招かれて治療
- ヘレン・ケラーが来日、各地で講演(記念切手も発売)
- 濃霧の高松沖で国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が貨物船と衝突沈没、修学旅行の小中学生ら168人が死亡(2日後、国鉄総裁が引責辞職)
- 1円硬貨発行(初のアルミ貨)
- 第1回日本母親大会開催
- 日本住宅公団法公布
- ラッセル・アインシュタイン宣言(湯川秀樹ら11人の世界的科学者が核兵器の危険を各国首相に警告)
- 日本初の本格的ジェットコースターが東京・後楽園遊園地に登場
- トニー谷の長男誘拐事件発生(6日後に犯人逮捕、無事解決)
- 津市の女子中学生36人が水泳講習中高波にのまれて死亡
- 第1回原水爆禁止世界大会を広島で開催
- 東京通信工業(ソニーの前身)、トランジスタ・ラジオを発表(1万9800円)
- 森永ドライミルク中毒事件発生(ヒ素の混入によるもので、患者1万2000人、死亡130人に及んだ)
- 新50円硬貨発行(ニッケル貨)
- 食堂の米飯自由販売が始まる
- 米軍軍曹による少女殺害事件(6歳の少女を暴行殺人のうえ嘉手納海岸に遺棄。軍事裁判で死刑の判決が出たが、本国に送還され、うやむやになった)
- 台風22号が薩摩半島から玄界灘に抜け、死者42人、家屋の全半倒壊12万戸以上
- 米の生産が史上最高の1239万トンに達して(好天と化学肥料の普及による)、ヤミ米価が配給米を下回り、米不足時代が終わる
- 台風22号で新潟市大火(県教育庁の屋根裏から出火。22号台風下の停電中で8時間にわたり延焼。1193戸が被災、被災者5000人)
- 国電新宿駅にアルバイト学生による「押し屋(旅客整理係学生班)」登場
- 千葉・船橋に埋立地i総合娯楽施設「船橋ヘルスセンター」が開業
- 岡山・鳥取県境の人形峠でウラン鉱床発見
- 銀座に蛍光灯の街灯設置
- トヨタがトヨペット・クラウン、富士精密(現・日産自動車)がプリンスを発売(乗用車製造技術が国際水準に近づいたことを証明)
- 広島原爆資料館設立
- カルチャーセンターの第1号を産経学園が設置
- 映画「エデンの東」でジェームス・ディーン人気(そのさ中に9.30自動車事故で死去。24歳)
- シネラマ、日本最初の上映(旧帝劇で「これがシネラマだ」を上映)
- 「成人向映画」指定始まる
- 中古車を日貸する「ドライブ・クラブ」が流行
- マンボブーム
- 子供の間でプロレスごっこが流行
- プラモデルブーム
- うたごえ酒場全盛
- 深夜喫茶が初登場
- ボディビルブーム始まる(日本ボディビル協会も発足)
- 少年の自殺相次ぐ
- 新商品=トランジスタラジオ、電気釜、ポップアップ型トースター、電気毛布、事務用複写機「リコピー」、かぜ薬「ベンザ」、粉末の「花王フェーザーシャンプー」
流行語
数量景気、押し屋、セミテン(皇太子のこと)、「最低ね」、「頼りにしてまっせ」、「兵隊の位でいうと」、ノイローゼ、M+W、不良文化財、中共(中国のこと)
ファッション
- NDKが第1回ショーを東京会館で開催
- NDKがマギー・ルフ・ショーを各地で開催
- 田中千代が世界の民族衣服ショーを開催
- カラー:宝石調カラー(~57年)
- スカート丈が膝下のシャネルスーツに人気
- チュニックスタイル流行
- スーツインのジレが人気に
- 海水浴場にビキニスタイルが登場
- マンボズボン全盛(マンボダンス流行で踊りやすい細身のスラックスが人気)
- ポロシャツ流行
- モノセックス出現
- ナイロン・トリコットのスリップ発売
- コルセットは需要増、ウエストニッパーは激減
- シームレスストッキング発売
- 男性にベレー帽流行
- メンズソックスの90%を口ゴム付きが占める(それまでは口ゴムなし。ガーターで止めた)
- ボーダーチーフ出始める
- 黒曜石カフスボタン全盛、ワニ口タイタック登場
- 女性の髪型にフロントフォールや、「エデンの東」のヒットでポニーテールが流行
- ディオール、春夏に胸元を大きく開けたAライン、秋冬にYライン・Xラインを発表(Aラインはすぐさま日本に影響)
- マリー・クワント、ロンドンに「バザー」開店
- ハーデイ・エイミス、英王室デザイナーになる
- 米の国際衣服デザイナー協会(IACD)がアイビー・モデルを発表
- 洋裁学校、全国2700校、生徒数50万人に達する
- 文化服装学院、立体裁断の授業開始
Fジャーナリズム
東洋連が月刊誌「洋品界」創刊
ファッション小売業
- 日本生産性本部マーケティング視察団の帰国後、「マーチャンダイジング」の概念が導入される
- 百貨店法制定全国商業者決起大会開催
- 全日本小売商団体連盟結成
- 日専連、正札運動を全国展開
- [京浜百貨店]新橋店を開店(戦後初出店)
- [西武百貨店]堤清一が28歳で取締役店長に
- [丸井今井]北海道初のエスカレーター設置
- [丸物]新宿ストアーを買収し、新宿店(新宿丸物)を開店
- [オギノ(山梨)]セルフサービス方式を一部導入
- [ジャスコ]井上次郎が豊中市に「飯田」(のちのシロ)を設立
- [ニチイ]西端行雄が大阪・天神橋にハトヤを8坪で開店(衣料のセルフ店としては日本初)
- [三愛]銀座店で水着の販売を開始
- [サンモトヤマ]茂登山長市郎が有楽町に舶来品の専門店、サンモトヤマを設立
- [はるやま商事]治山正次が岡山県玉野市に紳士服専門店を創業
アパレル産業
- 輸出の花形は、ブラウス、ワイシャツ、ジャンパー、ズボン、セーター、手袋などの低価格ゾーン
- ワンダラー・ブラウス対米輸出自主規制開始(輸出2億ドル程度)
- 東洋連、北海道出張見本市開催
- 東京既製服製造卸協同組合設立
- 東京ブラジャーコーセット組合設立
- 東京マフラー・スカーフ工業協同組合設立
- 東京ワイシャツ協組、ボタンかけ替えカラー付きシャツの実用新案無効審判で共同訴訟
- 石津商店が法人化しヴァン・ヂャケット設立。東京・江戸橋に営業所設置
- 神戸の光商会(のちのエンパイア)から川上勉、山中健が独立してオールスタイルを設立
- 海渡(エトワール海渡の前身)が自店でネグリジェのショー開催
- 勝根又商店(大賀の前身)が互洋(株)を設立
- 野村商店(ルシアンの前身)が婦人下着取扱い開始
- 福助足袋(福助の前身)がテレビCM放送開始
- 光永繊維を光永編織に改称(コムトの前身)
- 佐々木営業部がレナウン商事に改称。*バルキーセーターを発売(バルキーブームの2年前で、早過ぎた)
設立 吉村
繊維・テキスタイル産業
- テキストが入ります。キストが入ります。キストが入ります。
- レーヨンF糸が安値を更新し、大阪化繊当限181円60銭の新安値をつける
- 戦後第二次の綿紡勧告操短始まる(1955.05〜1956.06)
- 繊維相場の暴落が続き、東京繊維商品取引所の人絹糸は開所以来の安値を示す
- 三品綿糸暴落(1日現在全国綿糸布在庫502,200梱)
- 繊維界代表と国会議員との第1回繊維懇談会開催
- 綿紡大手10社スト突入(時限・全面ストを行使したが11月1日妥結)
- 化繊協会が人絹糸をレーヨン糸、スフをレーヨンテスープルとそれぞれ称することに決定
- 日本繊維意匠センター設立
- レーヨン各社、レーヨンS大増設を計画(計29%増)
- レーヨンF糸価急落(全限190円割れ)
- 化繊協会、PR映画「化繊時代」製作
- 全繊同盟ストライキ
- 蝶理が東洋レのナイロンを扱って絶頂期に入る
- 丸紅が高島屋飯田を合併、丸紅飯田と改称
- 帝国人造絹糸(帝人の前身)がテビロンの企業化決定。*松山工場操業開始(アセテート)
- ナイロンの需要が高まり、東洋レが供給を受ける業界から「室町通産省」と呼ばれ始める
- 日レがナイロン日産5.5トン生産開始
- 三菱レがアメリカン・セラニーズ社のパナマ法人とアセテート製造技術導入契約
- 最初の不織布「パネロン」登場
- 米デュポン社、スパンデックス繊維「ライクラ」生産開始
- 仏・西独・伊・蘭でポリエステル生産開始
繊維・ファッション行政
- 通産省が原毛輸入外貨割当基準錘数を実錘数に改訂
- 通産省が原毛輸出リンク制改正
- 綿紡績戦後第二次勧告操短開始(1955・5~1956・6)
- 通産省が7月以降のリンク率引下げを内容とした綿紡用原綿買付け割当て方式を発表
- 公取委が混紡綿糸標準化カルテル認可方針決定
- 通産省が8月からの綿紡操短率引上げを発表
- 通産省に「繊維総合対策審議会」の設置決定
- 化繊協会がスフ糸(レーヨンS糸)合理化カルテルを公取委に提出
- 繊維産業総合対策審議会設置
- 対米綿製品輸出規制措置決定
- 公取委が純スフ糸合理化カルテル認可
- 通産省が綿紡操短を12月まで継続する旨発表
- 繊維製品品質表示法施行(繊維製品への組成混用率表示の始まり)
- 通産省が北米・欧州向け綿・スフ織物の輸出調整を決定(自主規制始まる)
- 通産省が繊維産業合理化法案成立前の繊維設備の新増設を行政措置で抑制する旨を通達
- 繊維産業総合対策審議会紡績部会で紡機の過剰設備処理対策決定
- 首相を含む最高輸出会議で官民の輸出傾注を決定
- 「政府、政府機関の使用する繊維類は、合成繊維およびその混紡品に限る」と閣議決定
- 通産・文部両省が合繊学生服の啓蒙普及のため、ポスターを作成、推奨品の商標を発表
- 通産省が合繊育成5カ年計画の対象にアクリルを追加(従来はビニロン、ナイロン、ビニリデン)
政治・経済・社会
- 米国が南ベトナム、カンボジア、ラオスへ直接援助を開始
- 共産党が「アカハタ」で極左冒険主義の自己批判を発表
- 鳩山首相が中ソとの国交回復、憲法改正に積極的意思を表明
- 衆議院解散(天の声解散)
- ソ連のマレンコフ首相が失脚。後任にブルガーニン元帥が就任
- 日本生産性本部設立(初代会長に東芝の石坂泰三が就任)
- 第27回総選挙(争点は改憲。民主党が自由党を上回る。革新派が改憲阻止に必要な1/3議席を確保)
- 第2次鳩山内閣成立(少数党内閣)
- 経済同友会全国委員会が保守2党の緊密な連携を要望
- チャーチル英国首相が老齢を理由に辞任。イーデン内閣成立
- 三木武吉民主党総務会長が「保守合同のためには鳩山首相に固執せず」と記者団に語る
- アジア・アフリカ会議開催、バンドン10原則を採択(29か国参加)
- 第3回統一地方選挙(創価学会進出)
- 国際貿易促進協会、日中貿易議員連盟が中共貿易使節団との間で第3次日中民間貿易協定を締結
- 米・英・仏が10年にわたる西ドイツの占領状態停止を正式宣言。西ドイツは独立主権国家となる
- 西独、NATOに加盟
- 経団連総会が保守統一を要請する決議
- ソ連軍が旅順から撤退開始
- ソ連と東欧8か国がワルシャワ条約調印
- 民主・自由両党の幹事長・総務会長の4者会談で保守合同について協議
- ロンドンで日ソ交渉始まる(領土問題,抑留邦人帰還問題など妥協点が見いだせないまま中断)
- 民主・自由・緑風の保守3派議員有志が自主憲法期成議員同盟を結成(広瀬久忠会長)
- ジュネーブで米英仏ソ4国巨頭会談開催(緊張緩和の空気高まる)
- 政府は長期経済計画立案のため経済審議庁を経済企画庁に改め発足
- 過度経済力集中排除法等廃止法公布
- 総評第6回大会開催(高野実に代わり岩井章が事務局長になる。太田・岩井ライン)
- 共産党が6全協を開催(過去4年間の極左冒険主義を自己批判し、平和革命路線へ。党内分裂を収拾)
- オーストリア独立を回復
- 日銀が4年ぶりに公定歩合を基準日歩2銭に引き上げ
- 米のオネスト・ジョン(核弾道が装着可能な地対地ミサイル)とその要員部隊が日本に上陸
- 日本、GATTに加盟
- 砂川基地反対闘争(立川飛行場拡張のため強制測量を実施し、反対派と警官隊が衝突)
- アイゼンハワー米大統領が心臓病で倒れる(回復したが、ニューヨーク株式市場は大暴落)
- 左右社会党統一大会を開催し、日本社会党結成(鈴木茂三郎委員長、浅沼稲次郎書記長)
- 米国が支援してゴ・ジン・ジェムを大統領とするベトナム共和国を樹立(ベトナムは北緯17度で南北に分断)
- 日米原子力協定調印
- 自由民主党結成(民主党・自由党は解党し保守合同。55年体制固まる)(総裁決定まで代表委員制/鳩山一郎・緒方竹虎・三木武吉・大野伴睦)
- 第3次鳩山内閣成立
- 日中輸出入組合設立(対中国民間貿易の窓口一本化)
- 日本の国連加盟にソ連が拒否権発動
- 原子力基本法など原子力3法公布
- 「神武景気」始まる
- この年輸出増大(前年比30%増)
- 輸出船ブーム(1954年秋頃から海外からの造船受注が増加)
- 55年度外国為替収支実績、5億3500万ドル黒字
- 政府、「経済自立5カ年計画」を正式決定
- 東京都人口、803万人
- 全国各地に神経性の奇病(スモン病)発生
- 経済白書の副題「前進への道」
- (第3景気循環の上昇期が始まる)