1951年(昭和26年)
ビック・トピックス
- サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印
- 朝鮮戦争の休戦交渉が始まり、繊維市場暴落。中小企業の倒産続出
- フラノが生産過剰で暴落(フラノ旋風)
- 伊東絹子ら職業モデルが誕生
- 洋裁学校の全盛期が始まる
生活・文化
- 朝日、毎日、日経が元旦号から多色刷りを実施
- NHK、第1回紅白歌合戦をスタジオ放送
- 歌舞伎座復興
- 日本青年会議所設立
- イラン石油国有化法成立
- 食糧公団の解体によって主食の配給業務が民営となり,米屋が復活
- 東京・銀座6丁目に初のトルコ風呂「東京温泉」開店
- 日本銀行が五百円札(岩倉具視の肖像)を発行
- 衣料切符、正式に廃止と発表
- 第55回ボストン・マラソン大会に日本初参加。初出場した田中茂樹(19)が日本人として初めて優勝
- 京浜東北線桜木町駅そばの高架上を走行中の国電2両が炎上し、106人死亡(桜木町事件)
- 貞明皇后逝去
- NHKがテレビの実験放送として三越の電波展覧会へ初の野球実況中継
- 文化財保護法による「新国宝」の初の指定が実施され、 菩薩半跏像(広隆寺)など指定
- 電力不足で停電が頻発
- ラジオの民間放送開始(年内に6局スタート)
- 映画「羅生門」がベニス映画祭でグランプリを受賞
- ルース台風が山口県から東北以南にかけて大被害(死者・行方不明者943人、全半壊家屋7万2653戸)
- 日本航空が国内線就航(1番機はマーチン202もくせい号。エアガールの制服も注目された)
- 日本初のプロレス試合「力道山対ボビー・ブランズ戦」が両国のメモリアルホールで開催
- 第3回日米親善野球が16試合行われ、米プロ選抜チームが13勝1敗2引き分け
- 日本銀行が50円札(高橋是清の肖像)を発行
- 12.18/全三越労組が午前0時から18時間スト(百貨店史上初めてのスト。「三越にはストもあります」)
- 大賀一郎博士が2000年前の蓮の種を3粒発見、発芽させることにも成功
- ジャズ流行
- キャラメルぞくぞく新発売(森永、カバヤ、紅梅、雪印バター)。チョコレート(森永)、ミルキー(不二家)、フーセンガム(ロッテ)も登場
- 名古屋から全国へパチンコ流行。軍艦マーチも復活
- 結核が初めて死因の2位に下がる(脳溢血が1位に)
- 赤痢流行、死者1万4836人
- 米価1キロ62円になる
流行語
社用族、三等重役、親指族(パチンコの常連)、GI刈り、逆コース、エントツ(タクシー運転手の小遣い稼ぎ)、「ノー・コメント」、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
物価
封書10円・葉書5円、国鉄最低料金10円、ビール115円→123円→127円、ピース(10本入り)50円→40円
ファッション
- NDC、第3回ファッションショーを銀座のキャバレー美松で開催(モデルは日劇のダンサーなど)
- 第3回ディナ・リーサ賞発表ファッションショー開催
- 毎日新聞が「毎日ファッション・ガールズ」を公募(職業モデルの発端。応募2074人のなかから伊東絹子・岩間敬子・相島政子・香山佳子らが選ばれた)
- カラー:パステルカラー
- 和装と洋装の比率が戦前と逆転
- フラノの生産過剰(フラノ旋風)で低価格のフラノのメンズスーツ、ジャケット、替えズボン、スカートが出回る
- シャツブラウス登場
- ロングスカート全盛
- ウール・スカーフ人気
- ショルダーバッグが増え始める
- メンズ・カーディガン流行
- 西陣のベロア・ネクタイ流行
- 家庭での手編セーターさかん
- 洋裁学校2400校、生徒数36万人
- ディオール、オーパルライン発表
- ジャック・ファット、アローライン発表
ファッション小売業
- 朝鮮休戦で、輸出・特需キャンセルの純綿キャラコを百貨店が一斉特売
- 百貨店にブラジャー、コルセット売場開設
- 銀座、京橋、新宿、渋谷などのヤミ市・露店全廃
- [伊勢丹]PR誌「ブーケ」復刊
- [高島屋]PR誌「ル・シック・タカシマヤ」創刊
- [東急百貨店]東横百貨店渋谷店と玉電ビルの間にロープウェイ「空中電車ひばり号」開通(こども専用の12人乗り)。*東横のれん街を開設(日本初の名店街)
- [松坂屋]PR誌「新装」復刊
- [三越]48時間スト。*猪熊弦一郎画伯デザインによる「華ひらく」の包装紙を全店で使用開始
- [小美屋]6/川崎駅前に新店舗(鉄筋コンクリート3階建て)を開店(55年までは川崎市唯一の百貨店)
- [鈴屋]鈴木シャツ被服店が改組して(株)鈴屋を設立
- [ひよしや]森英恵が東京・新宿東口に洋裁店「ひよしや」を開店(50年代の日本映画全盛期に400本にものぼる映画の衣裳を手掛けた)
- [緑屋]岡本虎二郎(岡本商店)が月賦百貨店の(株)緑屋を設立
- 米フェデレーテッド、ダラスの老舗サンガーブラザースを買収(同社は28年以来、企業買収を続行)
アパレル産業
- 東京ワイシャツカラー協会、東京ネクタイ商工業協組、東京洋装雑貨卸商組の3団体で、東京洋装雑貨卸商連合会(東洋連)創立
- 日本ネクタイ組合連合会設立
- 横浜ネッカチーフ振興会設立
- 東洋連第1回見本市を東京・下谷公会堂で開催
- 朝鮮休戦で、輸出・特需キャンセルの純綿キャラコが出回り、綿製品の内需生産本格化
- 糸金商店(イトキンの前身)が大垣工場を開設
- 石津謙介、大阪・北炭屋町で石津商店(ヴァン・ジャケットの前身)を創業
- 津澤メリヤス製造所(ゴールドウインの前身)が株式会社に法人化
- 福助足袋が民間ラジオ放送にCM第一波流す
- 丸光商店が丸光(株)(プロルート丸光の前身)に商号変更
- 佐々木営業部(レナウンの前身)が新聞広告を開始(朝日・毎日・読売・東京)。*週刊朝日に広告掲載(アパレル企業の週刊誌広告第1号)。*ラジオ宣伝を開始
- 貝原織布(株)(カイハラの前身)設立(資本金150万円、織機34台)
- ミシンの米向け輸出始まる
- ITMA展(国際繊維機械展)、第1回をリールで開催
繊維・テキスタイル産業
- 日本の綿糸布輸出が世界一に(1969年まで世界一が続く)(綿糸布輸出は1933〜41年も世界一だった)
- フラノが生産過剰で価格下落が続き、「フラノ旋風」と呼ばれる
- 朝鮮休戦交渉の急進展で繊維相場が暴落(特に化繊相場は7月末までに約60%ダウン)
- 中小繊維商社、続々と倒産(繊維不況深刻化)
- 綿スフ織物商連合会設立
- 化繊協会が12社の運転資金借入を日銀と交渉、約17億円の借入成立
- 倉レが世界で初めてのビニロン本格生産開始
- 呉羽紡が塩化ビニリデン系合繊生産開始
- 帝国人造絹糸(帝人の前身)が「ビューティ・クレープ」を開発(チョッブ織物の第1号)
- 東洋レがナイロンの本格生産開始。*ナイロン年産量38.3トン。*米デュポン社とナイロン技術提携契約締結(特許料10億8000万円)。
- 米国では朝鮮戦争終結によって繊維産業不況。化繊企業はレ—ヨン、アセテートを20%以上操短。ただし、生産実績は過去最高
繊維・ファッション行政
- 繊維輸出承認制を実施
- GHQが日本繊維製品ダンピングについて警告
- 経済調査庁が綿糸布暴騰に自粛を業界に勧告
- 衣料品配給規則・衣料切符配給規則廃止
- 衣料、砂糖など9品目に物価統制令発動
- 農林省が蚕糸業振興5カ年計画決定
- 綿花・綿糸の割当統制および綿製品の価格統制を停止
- 通産省が化繊業界に操短実施を示唆
- 公取委が化繊業界の操短を独禁法違反と警告
- 大蔵省が合繊用重要機械の輸入関税免税を決定
- 合繊の輸入税を最高の25%に(国産合繊優遇)
政治・経済・社会
- 社会党大会、平和4原則を決議し、委員長に鈴木茂三郎を選出
- 米講和特使ダレス来日
- 自立経済審議会は自立経済3ヵ年計画を答申
- 国連が中国を侵略者と決議
- 杉道助大阪商工会議所会頭の主唱で、海外市場調査会(日本貿易振興機構の前身)が大阪で発足
- 日本青年会議所設立
- 社会民主党結成(委員長平野力三)
- 世界平和評議会がベルリン・アピール、5大国の平和条約締結を要請
- イラン石油国有化法成立
- 国連軍最高司令官マッカーサーが「中国本土攻撃も辞せず」と声明
- 政府、メーデーの皇居前広場使用を禁止
- NATO軍発足、最高司令官にアイゼンハワー就任
- トルーマン米大統領が在日占領軍司令官マッカーサー元帥を罷免(後任はリッジウェイ中将)
- 日本開発銀行が設立され、復興金融金庫の貸付債権を承継
- リッジウェイが占領下諸法令再検討の権限を日本政府に委譲すると声明
- 日本発電が解体され、地域別の9電力会社発足(電力再編)
- 第22回メーデーは中央メーデーを中止し、芝公園などでの分散メーデーになる
- GHQ、対日援助打ち切りを声明
- WHO(世界保健機関)が日本の加盟承認
- 日本共産党中央委員24人、および機関紙「アカハタ」幹部を公職追放、アカハタを停刊処分
- 計量法公布(メートル、キログラムなどを採用)
- ILO(国際労働機関)、日本の復帰申請を承認
- 政府が第一次公職追放解除を発表(石橋湛山、三木武吉ら政財界人2958人)
- ユネスコとILOが日本の加盟を承認
- 米・英・仏が対独戦争状態終結を宣言
- 朝鮮戦争休戦会談が開城で始まる(戦闘は8月22日まで続いた)(繊維市況急落)
- 政府、財閥解体完了と報告
- 米国が第2次大戦以来認めていた対共産圏関税特恵をすべて廃止
- 政府が第2次公職追放解除を発表(鳩山一郎ら各界1万3908人)
- 政府が旧陸海軍正規将校1万1185人の追放解除を発表
- 米・フィリピン相互防衛条約調印
- 米・豪・ニュージーランドが太平洋安全保障条約(アンザス条約)調印
- 対日講和会議、サンフランシスコで開催(52か国参加)
- 対日講和条約・日米安全保障条約調印(講和条約には49か国が調印。日本は樺太と千島列島を放棄)
- 政府がGHQの承認を得て旧特高警察関係336人の追放解除を発表
- 出入国管理令公布
- 共産党が51年綱領を採択(当面の革命の性格を民族解放民主革命と規定。火炎ビン闘争などが始まる)
- 社会党臨時大会、講和・安保両条約承認で対立し、左派社会党と右派社会党に分裂
- 朝鮮休戦会談、板門店で再開(会談中も戦闘つづき、戦局は膠着状態)
- 衆議院が講和条約、日米安保条約を承認
- 参議院が講和条約・日米安保条約を承認
- 第3次吉田改造内閣発足(蔵相に池田勇人)
- マーシャル・プラン終了(総額約120億ドルを支出)
- 米国、初の原子力発電に成功
- 商社の金融危機深刻化
- 結核が初めて死因の2位に下がる(脳溢血が1位に)
- 赤痢流行、死者1万4836人
- 鉱工業生産指数、戦前水準を突破
- 経済白書の副題「国際環境の変化と日本経済−経済基調の変化−発展途上の諸問題」
- (戦後第1回の景気循環現象が発生…4〜6月が山、10〜12月が谷)