1952年(昭和27年)
ビック・トピックス
- 講和条約などが発効し、GHQ廃止
- 繊維市場大暴落。綿紡績の操短が始まる
- 紳士服・婦人子供服の標準寸法制定
- 国産ナイロンストッキングをはじめ、ナイロン製品が登場
生活・文化
- 東京・八重洲にブリジストン美術館開館
- 黄変米騒動発生(ビルマからの輸入米に毒性の強い黄変米の混入を発見)
- 白鳥事件発生(札幌市の路上で白鳥一雄警部射殺。共産党地区委員が逮捕され、のち無期懲役確定)
- NHKが初めて衆院本会議を中継
- 第6回冬季オリンピックがオスロで開催され、日本初参加(メダル獲得なし)
- 委託公衆電話登場(商店などに設置。黒電話だったが、翌1953年から赤電話に代わっていく)
- 東大ポポロ事件発生(学生劇団ポポロ座主催の「小林多喜二祭」の見物客に私服警官が紛れ込み、警察手帖を取り上げられた)
- 米谷事件発生(青森県高田村で強姦殺人事件が起こり、米谷四郎が逮捕されたが、のちに真犯人が名乗り出て、1978年に無罪判決)
- 第19回卓球選手権大会(ボンベイ)で、日本が女子団体、男子ダブルス、女子ダブルス、男子シングルスの4種目に優勝
- 東京・有楽町に日劇ミュージックホールがヌード芸術をキャッチフレーズとしてオープン
- 北海道・阿寒湖のマリモが国の天然記念物に指定される
- 上野動物園に海水水族館開館
- 砂糖の統制が13年ぶりに撤廃
- たばこ「ピース」が “オリーブをくわえた鳩” のデザインで販売開始
- GHQが帝国ホテル・メモリアルホールなどの接収を解除
- 川崎市に向ケ丘遊園開園
- 高良とみが日本人として戦後初のモスクワ入り
- 日航機もく星号が大島三原山に墜落、乗客乗員37名死亡
- NHKラジオで「君の名は」放送開始(1年番組)
- サマータイム廃止を決定(GHQの指示で1948年から実施されていた)
- 白井義男がダノ・マリオを破り、日本人初のボクシング世界フライ級王者に
- 菅生(すごう)事件発生(大分県菅生村の駐在所がダイナマイトで爆破され、共産党員が逮捕されたが、のちにデッチあげであることが判明)
- 放送法一部改正(ラジオ・テレビを問わず受信者はすべてNHKと受信契約することを規定)
- ダイナ台風で被害(関西以西で死者行方不明1350人)
- 羽田空港が米軍から返還され、東京国際空港として発足
- 世界初のジェット機コメット号(英)がテスト飛行でロンドン−東京間を27時間半で飛んだ
- 第15回ヘルシンキ・オリンピック開催(日本戦後初参加。レスリング・バンタム級の石井庄八が唯一の金賞、ほか銀6、銅2。チェコのザトペックが陸上5000m、1万m、マラソンの3種で優勝し、「人間機関車」の異名をとる)
- 江ノ島水族館開館
- 大賀一郎博士(前東大教授)が千葉市の古代遺跡から発掘した2000年前の蓮の種が開花
- 電電公社(現・NTTグループ)発足
- 大相撲秋場所(当時は年3場所制)で土俵の四本柱を廃止。つり屋根となり、柱の代りに房を下げた
- 明神礁爆発で遭難発生(海底火山の爆発で出現した2つの小島を観測中の「第五海洋丸」が新爆発で遭難。調査団9人、乗組員22人が全員死亡)
- 皇太子明仁の成人式・立太子礼挙行
- 東京・竹橋に国立近代美術館開館
- 日本初のボウリング場「東京ボウリング・センター」が青山にオープン
- ミスユニバース日本大会始まる
- マジックインキ登場
- ホンダがバイク「カブ」(エンジン付き自転車)発売
- 人造バターが「マーガリン」に名称変更
流行語
ゴールデン・ウイーク、黄変米、エッチ、火炎ビン、恐妻、パンマ、青線、風太郎(プータロウ)、ヤンキー・ゴー・ホーム、「見てみてみ・聞いてみてみ」
物価
ビール127円→130円
ファッション
- NDCが東京ファッションモデル・クラブ(TFMC)を結成(毎日モデルクラブを吸収)
- NDCのショーを美松から帝劇に移す
- 戦後初のメンズ・ファッション・ショー開催
- カラー:パステルカラー、オパールカラー人気
- エバーグレースのプリント服地に人気(夏)
- 10~12ケージの高級セーター人気、ドルマンセーター出現
- ベンベルグ・ブラウス出現
- パーマネントプリーツ・スカート初めて市販(秋)
- トッパー、茶羽織流行
- ゆかたドレス出現
- ビニールのレインコート流行
- 国産のナイロンFFストッキング市販開始(小売価格800円)
- 背広にナチュラルルック普及(三つ揃いからチョッキなしへ)
- ドレスシャツにサンフォライズ加工のブロード登場(春)
- ジャンパーに人気
- 柄物メンズソックス増加
- 正絹プリントマフラー流行
- ジバンシーが独立してパリで開店
- バレンシアガ、オリエンタルルック発表
Fジャーナリズム
日本ファッション・エディターズ・クラブ(FEC)発足。「流行通信」創刊(日本織物出版社)、「ジュニアそれいゆ」創刊
ファッション小売業
- 日本専門店連盟(日専連)、協同組合日本専門店連合会に改称
- 全日本商店街連合会設立
- 百貨店、婦人服オーダー売場設置始める
- アメ横(東京・上野)がGI文化のマーケットとして人気上昇
- [西武百貨店]第1期開店、ターミナル百貨店へとシフト開始
- [十合]GHQによる接収解除。大阪本店を大阪店、神戸支店を神戸店に呼称変更
- [高島屋]バラの包装紙デザインを採用
- [東横百貨店]東横のれん街を開設(のれん街の発祥)
- [阪急百貨店]子供用品の啓蒙を目的にしたファミリア子供ショー開催
- [松屋]銀座本店、GHQによる接収解除(翌年、全館新装開店)
- [佐賀玉屋]中元期に初の学生アルバイト採用
- [いずみや]いづみや呉服店、衣料品全般の販売を主とするいづみや(株)に改組・転換
- [長崎屋]長崎屋布団店が(株)長崎屋に商号変更
- [銀座英国屋]小林新三郎(小林洋服店)が銀座英国屋の旧4丁目店を開店
- [銀座山形屋]山形屋が銀座店を設立し、高級注文服を取り扱う
- [コナカ]湖中久次が神戸市で個人営業として創業
- [シップス]前身のMIURAが上野アメ横に開店
- [田屋](株)田屋に改組、梶原市太郎が社長に就任
- [フタタ]紳士服の卸売業「二田商店」を久留米市で創業
- [ダイアナ](株)ダイアナ靴店設立(開業は1948年)
アパレル産業
- 紳士服・婦人子供服に標準寸法制定(戦後初の業界制定の衣料サイズ)
- 東京婦人子供服製造卸同業会、生地仕入見本市と製品見本市を年に各2回開催(生地仕入見本市は55年まで)
- 東京靴下卸商組設立、同時に東洋連に加盟
- 東洋連、第1回大阪出張見本市を中之島で開催
- 警官や郵便局員の制服改正
- 厚木編織(アツギの前身)が国産初のシームレスストッキング、タイツの製造・販売を開始
- 海渡(エトワール海渡の前身)がセルフサービス方式による販売方法を開始
- 樫山(オンワードの前身)が大阪・東区本町にビル(現・大阪支店)を建て、老松町にあった本社を移転
- 郡是製絲(グンゼの前身)がナイロン製フルファッション靴下の生産開始(本工場・塚口工場)
- 三幸被服(トレンザの前身)が三幸衣料(株)に社名変更
- 津澤製造所(ゴールドウインの前身)が一般メリヤスからスポーツウエア専業メーカーに転換
- 東京編織(レナウンの前身の一つ)がレナウン工業に改称
- 戸賀崎繁男商店(東京ブラウスの前身)がシルク・ブラウスを「東京ブラウス」のブランドで発売
- 内外編物(ナイガイの前身)がナイロンストッキング(フルファッション)、ランジェリーの生産販売を開始
- 成宮織物(ナルミヤ・インターナショナルの前身)、広島市に設立(創業は1906年。呉服問屋)
- 光永保が光永繊維(コムトの前身)を設立して、横編ニットの製造を再スタート
- 和江商事(ワコールの前身)が大阪・阪急百貨店で初の下着ショー開催(男子禁制。下着の付け方を講習)
繊維・テキスタイル産業
- 英国が日本などからの生地棉布輸入停止を発表(3月)
- 大阪三品取引所の綿糸翌月渡相場が200円を割り、後場立会を停止(3月)
- 繊維相場続落(東京繊維商品取引所でレーヨンF当限180円割れ、レーヨンSも開所以来の安値)(9-10月)
- 大阪三品取引所で綿糸相場が160円を割り、再び恐慌相場を出す(11月頃、綿紡117社で、約700万錘)
- 化繊業界操短(レーヨンFは1月から約3割、レーヨンSは3月から約4割)
- 化繊需要促進委員会が「各社生産高の約20%、月50万ポンドを目標に、各社の責任で製織・染色仕上げしたブランド付きの良質織物を生産する」と申し合わせ
- 化繊協会がアセテート部会新設(新日窒、大セル、帝人、東邦レの4社)
- 化繊メーカーが織物価格低下→原糸価格低下の防止のため、賃織・系列育成に動き出す
- 英国が綿布・綿製品の輸入停止
- 酒伊織物工業(サカイオーベックスの前身)が東洋レと提携して、ナイロン織物の製織と染色加工に成功
- 旭化成が米ダウ・ケミカル社と塩化ビニリデン系繊維(サラン)の技術導入契約締結。*米ダウ・ケミカル社と合弁で旭ダウ設立
- 鐘紡が連続精練漂白機稼動「エバーホワイト」生産開始。*無収縮仕上機稼動「サンフォライズ」生産開始。*カネボウニューヨーク設立
- 帝国人造絹糸(帝人の前身)が帝人商事を設立
- 東洋紡が「ダイヤシャツ」のチョップでワイシャツの市販開始。鐘紡がそれに続く
- 米ケミストランド社がアクリル繊維生産開始
- 米デュポン社が反トラスト裁判によって、ナイロンの特許公開
繊維・ファッション行政
- 通産省、綿紡績業へ初の勧告操短(翌1928年5月まで続くが、その後も操短を繰り返すことになり、戦後の設備規制の始まり。設置法に基づく勧告操短の方法をとった。公取が反対しクレーム、通産省は反論。一時は40%の高率操短へ)
- ポンド地域向け繊維品の輸出調整措置実施
- ポンド地域向け繊維品の輸出制限を緩和
- ドル地域向け輸出振興のため優先外貨制度改正
- 「特定中小企業の安定に関する臨時措置法」(中小企業安定法)が議員立法で成立(独禁法の適用除外規定があり、生産調整が可能に(要政府認可)、織物業などが指定された。その後の「中小企業団体の組織に関する法律(中団法)」に継承される)
- ポンド地域向け輸出調整措置を撤廃
- 通産省、綿紡増錘抑制のため綿紡績設備確認を第12次(10月末実施済み)の7,359,482錘で打切ると言明
- 政府、基幹産業の確立と新規事業の育成を決定(基幹産業に合繊を含む)
- 国際生糸取引規約発効(日本の生糸検査法、格付:けが国際基準に)
- 通産省、綿紡各社に4割操短勧告(勧告操短の始まり)
- 通産省、レーヨン紡績に操短を勧告
- 公取委、レーヨンS操短について、化繊協会、製造業者12社を独禁法違反で審判開始
- 綿織物に特定中小企業安定臨時措置法適用
政治・経済・社会
- 英軍がスエズ運河を封鎖
- 韓国政府が漁区境界線(李承晩ライン)の設定を宣言
- 英国王ジョージ6世死去、長女エリザベス2世が即位
- 改進党結成(幹事長三木武夫)
- 第1次日韓会談開始(4月末中止)
- NATO理事会が総兵力50個師団の欧州軍を創設することで合意
- チャーチル首相が英国の原爆保有を公表
- 日米行政協定調印(米軍の富士山麓接収、伊丹・立川基地拡張などに反対運動起こる)
- キューバのバチスタが軍事無血クーデターに成功
- 琉球中央政府発足(比嘉秀平主席)
- ポッダム政令廃止法公布
- 破壊活動防止法案反対でストライキ(第2波、第3波のストも実施)
- 講和条約・日米安保条約・日米行政協定発効。極東委員会・対日理事会・GHQ廃止
- 日華平和条約(日台条約)調印
- 血のメーデー事件勃発(デモ隊、皇居前で警官隊と激突、2人死亡)
- 財閥商号使用禁止などの政令廃止
- ボン協定調印(米英仏が西独とドイツ占領集結の平和協定を締結)
- 国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行の前身)が日本の加盟を承認
- 第1次日中民間貿易協定調印
- 日印平和条約調印
- 吹田事件発生(吹田市で朝鮮動乱2周年記念集会のあと、デモ隊が「人民電車」を走らせ警官隊と衝突)
- 日本が国連に加盟申請(その後、ソ連の拒否権発動で否決)
- 住民登録制実施
- 大須事件発生(名古屋市で「高良・帆足訪ロ報告会」のあと、デモ隊と警官隊が衝突、火炎ビンとピストルの応酬になる)
- エジプト革命発生(ナセルを指導者とする自由将校団のクーデター発生。国王は亡命)
- 破壊活動防止法(破防法)公布・施行。公安調査庁発足
- 法務省・自治庁発足
- 保安庁発足。警察予備隊を保安隊に改組
- 中小企業安定法公布
- 輸出入取引法公布
- 日本のGATT加盟が否決される(加盟は1955年)
- 吉田首相が衆院抜き打ち解散(反吉田派の選挙準備が整わないうちに解散)
- 第25回総選挙(自由党辛勝、共産党全員落選)
- 英国、初の原爆実験
- 炭労スト始まる
- 第4次吉田内閣成立(官房長官緒方竹虎、法相犬養健)
- 米国がエニウェトク環礁で水爆実験成功
- 米大統領選で、アイゼンハワー将軍(共和党)が当選
- 池田勇人通産相が衆院で「中小企業の倒産・自殺もやむを得ない」と発言(問題化し辞任)
- 日本長期信用銀行設立
- 閣議が米軍演習場として石川県内灘の使用を決定
- 鹿地亘事件発生(行方不明だった鹿地亘るが突然帰宅。米軍諜報機関のキャノン機関に拉致されていたことが判明)
- ウィーンで諸国民平和大会開く(85か国、1880人参加)
- 経済白書の副題「独立日本の経済力—動乱ブームより調整過程へ」
- (第2景気循環の上昇期がスタート)